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ギャラリー2

2025.10.13 UP

ギャラリー2にて 廣瀬智央個展「From Sky to Sky」が開催されます。

廣瀬智央

「From Sky to Sky」



2025.10.4 [Sat.] - 11.16 [Sun.]

月火祝 休

小山登美夫ギャラリー 前橋(ギャラリー2)


群馬県前橋市千代田町5丁目9-1(まえばしガレリア内 Gallery 2)

*10/11[土]・12[日]は臨時休廊とさせていただきます。あらかじめご了承くださいませ。


【オープニングレセプション】

2025年10月4日[土] 17:00 - 19:00

*作家も在廊予定です。







展覧会について


2013年、前橋市に誕生した現代美術館アーツ前橋の開館を機に、コミッションワークとして生まれたのが屋上の看板作品「遠い空、近い空」です。この作品は、前橋市の母子支援施設に暮らす子どもたちと、半年間にわたり空の写真を交換し合う対話のなかから生まれました。そこから前橋との深い縁が始まり、やがてグループ展「表現の森」(2016)への参加や、個展「地球はレモンのように青い」(2020)の開催へとつながっていきます。現在も19年間にわたり続ける母子支援施設とのワークショップのため、毎年前橋を訪れて活動を重ねています。今回の小山登美夫ギャラリー前橋(まえばしガレリア2)での展覧会では、原点へと立ち戻り、前橋とのつながりを結び直しながら、私が探究してきた「空」と「青」を軸に、未発表作と新作を中心とした展示を行います。


1991年、日本からイタリアへ渡った私は、はじめて空に向けてシャッターを切った瞬間に「空」の作品シリーズを歩み出しました。それ以来30年以上にわたり、私は「青」 と「空」をめぐる長い旅を続けています。それは単なる色や風景の再現ではなく、感覚と存在を深く開いていくための実践にほかなりません。


「青」は、顔料や紙の表面に確かに息づきながら、同時に手の届かない深遠へと私たちを誘います。海や宇宙の記憶を呼び覚まし、沈潜と解放を一度に経験させる色。私 はその青を通して、有限の身体が無限の広がりへと触れる瞬間を描き出そうとしてきました。


「空」は、私が撮影し、描き、構成するイメージのなかに現れます。しかしそれは単なる風景ではなく、私たちを常に包み、同時に通り抜けていく場そのものです。そこでは個と個が交わり、世界と私が境を失う。仏教の「空性」*1 が示すように、すべての存在は相互依存の網の目のうちに立ち現れます。「青」と「空」は呼応し合い、青は空の深みを物質としてここに呼び寄せ、空は青を色彩の次元から解き放ち、超越的な広がりへと導く。両者は、物質と非物質、有限と無限、想像と現実を架橋する通路なのです。


この展覧会では、青と空が交差する瞬間、有限と無限、可視と不可視が触れ合い、観る人が青に包まれ、空に開かれながら、自らの身体と感覚を越境していく経験の共有を願っています。それは私自身が作品を通じて幾度となく求めてきた、「世界と新たにつながる方法」でもあります。

展覧会タイトル「From Sky to Sky(空から空へ)」は、2008年に刊行した空の写真集『Viaggio』に寄せられた、美術批評家アンジェロ・カパッソ氏による深遠なエッセイ の題名です。25年ぶりにその文章を読み返し、私の歩みや思索をすでに見事に言い当てていたことに気づき、改めて深い共感を覚えました。その響きこそ、この展覧会に ふさわしいものと考え、タイトルとして掲げるに至りました。


*1. 私は仏教を宗教としてではなく、生きるための智慧と捉えています。仏教でいう「空性」は、この世のどんなものにも、永遠不変の「本体」や「固有の性質」は存在しないという考え方です。すべてのものは他の多 くのものに依存して存在しており、それ自体が独立して存在するものではないとされます。物事に固定的な「実体」があると信じ、「自分はこれである」と物事に固執せず、変化を受け入れる柔軟な心を持つことが、物事への固定観念や執着から解放される知恵とされています。




作品のコンセプト


私にとって「青」と「空」は、単なる主題ではなく、存在の根源に触れようとする行為であり、またアートを通して生を思考するための原点です。私は長いあいだ制作を続ける中で、繰り返しこの二つのイメージに立ち戻ってきました。青と空をめぐる往還こそが、私にとって作品を生み出す呼吸そのものであるからです。


青は、絵具や写真の中で物質として立ち現れる一方で、重ねるごとに「不可視の深み」へと変わっていきます。その瞬間、青は単なる色ではなく、触れられない存在の気配を帯び始めます。そこには有限な身体を持つ私が、無限に触れようとする試みがあります。スピノザ的に言えば、それは「延長」と「思惟」とが並行する運動であり、 青を描くことは、私の身体と精神が自然全体と共鳴するひとつの様態となることです。


空もまた、私の制作の中心にあります。空は背景や風景ではなく、私たちを包み込み、呼吸とともに生成し続ける「場」そのものです。ドローイングや写真のなかに刻ま れる空は、固定された形象ではなく、ベルクソンが語る「持続」のように、流れ、変化し、絶えず生成する時間の運動体です。空を見つめるとき、私はその瞬間が、過去 と未来を抱え込む「いま」であることを感じます。


この「空」という経験は、仏教の空性の思想とも響き合っています。あらゆる存在は固定的な実体としてあるのではなく、関係性と縁起によって成り立つ。空を見ることは、実体を掴むのではなく、むしろ「存在が関係性の網の目として現れること」を見ることです。私にとって空の表現は、その「無」による否定ではなく、「縁起的な開け」による肯定なのです。青や空のイメージは、私の作品において、その関係性の網の目を感覚的に可視化するひとつの試みです。


この探究は、美術史的な文脈とも複雑に交差しています。サイ・トゥオンブリーが地中海の光の中で西洋美術史の形式的な重さを「軽やかに戯れる線」として再生し、人間の精神に触れようとしたように、私もまた「形式を超える詩的実践」として異なる文化や素材を遊戯的に結び直し、詩的な場を創出しようとしています。フォンタナの「切り口」による空間への開口は、私にとって「空」への入り口を思わせるものでした。加えて、若冲や北斎に見られる群青の表現は、色彩が再現を超えて精神性を帯び、遊戯的な広がりを示しており、私の「青」と「空」は西洋と東洋の双方の伝統を横断しています。


「青」と「空」は互いに呼び合い、響き合い、往還を繰り返します。青は空を呼び寄せ、空は青を無限へと解き放つ。その往還のただなかに、私は有限な存在として身を置きつつも、哲学的にも美学的にも「生成の運動」を受肉させようとしているのです。


私は、絵画やドローイングにおいて、青を重ねる行為を通じて、有限な身体が無限に触れようとする瞬間を探り続けています。また、空を撮影し描き写すことで、時間と呼吸の痕跡を可視化しようとしています。こうした営みは、美術史の長い系譜に連なりながらも、私自身の日常から始まるものです。つまり私は、歴史の厚みを背負いながら、同時に最も個人的で具体的な瞬間から「青」と「空」を立ち上げているのです。


私にとって「青」と「空」とは、色であり、風景であり、哲学であり、呼吸であり、そして生きることそのものです。作品を通じて観る人に開かれるのは、私だけの青や空ではなく、それぞれの存在が抱える「無限への入口」なのかもしれません。



ー廣瀬智央ー






プレスに関するお問い合わせ先:

プレス担当:岡戸麻希子

Email: press@tomiokoyamagallery.com

Tel: 03-6459-4030 (小山登美夫ギャラリー オフィス)

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